法味随想 |
七高僧の一人、源信僧都のことばに「宝の山に入りて、手を空しくして帰ることなかれ」ということばがあります。「宝の山」とは、どういうことでしょうか。おそらく、仏法が聞けるということでありましょう。そういう山に入りながら、法を聞かないで人生を終わってしまうのは、どんなにか寂しいものでありましょう。 法を聞くということは、究極的な拠り所を持たせていただくということであります。詩人の竹部勝之進さんは、「わが身の唄」と題して、次のように詠っておられます。
この世に生まれてきたのは、仏法を聞きに生まれてきたのです。 仏法を聞いて はじめて 我が身に満足ができると言っておられます。 このように、真に満足できることができたなら、それは素晴らしいことだといえます。 そこにこそ、いかされてある命の尊さというものが知らされていくと思います。また、その命は自分一人で生きているのではなく、多くの人によって支えられ、助けられて、生かされているのだということに気づかされるということです。 今まで、知らなかった世界が知られ、気づかなかったことに、気づかされるということこれが、法を聞くということでありましょう。 また、竹部さんは、「一日」という題で次の詩を作っておられます。 一日は 一日一日新しい 命尊し 竹部さんは、ガンの手術をされながら、二十年も再発されず、詩を書き続けてこられました。生かされている命の不思議さを思いながらの生活であったようです。 それだけに、「一日一日新しい」ということばには、今日一日命恵まれて、生かされて生きているという喜びが伝わってくるようであります。 そして、この詩から、一日一日が、お浄土への一歩一歩であるという心も伺うことができると思います。
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お経の中に「その手は常に無尽の宝を出す」というお言葉があります。思えば手は、命のしるしであり、厳かな人の一生の姿を表すものでもあります。昔から手について、多くの表現がなされています。例えば「あの手」「手を打つ」「手口」「手柄」「手なみ」などがそうであります。 今、お経の中に語られた「其の手は常に無尽の宝を出す」の其の手とは、「拝む手」であり、合掌の姿であります。拝む手はまた頂く手でもあります。拝む其の手の中から、常に尽きることのない宝とは一体何なのでありましょうか。 それは、私達を必ず救わずにはおかないという阿弥陀如来のご本願であります。阿弥陀如来の大きな智慧と慈悲であります。 幼くして、病気のために、両手両足を失っても、自分の一生を力強く生きられた中村久子さんという方がおられます。 中村さんは、生活費を稼ぐため、見世物小屋にも出ていました。その頃の自分を歌った歌に次のような歌があります。 さきの世に いかなる罪を 犯せしや 拝む手のなき 我は悲しき
手がないため、拝むことのできない自分を悲しんでおられました。しかし、熱心にお寺で聴聞を重ねるうちに、この身が仏の智慧に照らされ、誰にもまさる如来の慈悲の暖かさの中に生かされていることに気づかされたのであります。その念仏の世界を次のように歌っておられます。 手はなくも 足はなくも み仏の 慈悲にくるまる 身は安きかな |
私の寺の境内に、大場活刀さんの句碑があります。その句碑には次の句が刻まれています。「一天に 古の月 けふの月」 これは、雲ひとつない夜の空に、満月に近い月の光が、私を照らしている。 そして、その月を見ながら、今見ているこの月を故郷をはなれて、住んでいる兄弟や子供たちも見ていることであろう。また、すでになくなった親や祖先の方もその昔、今の自分と同じ思いで、この月を見たに違いない。 このような、思いをうたった句でありましょう。 間もなく、お盆であります。故郷への思い・祖先への思いのもと、帰省ラッシュが始まります。過疎のこの町も、賑やかさを取り戻します。そして、家ごとに、亡くなった方を偲び、仏様にお参りをします。ご先祖のご恩を感謝し、仏恩を慶ぶのであります。亡くなった方はお浄土の世界から、この私達を、あの月のように「いつでも・どこでも」暖かく見守っていて下さるのであります。また、お盆は単なる墓参りではありません。私の「命」が過去から、一度の休みも無く受け継がれ、今こうして生きているという事実を確認する時であります。詩人の相田みつおさんは、「自分の番、いのちのバトン」と題して、次のようにうたっておられます。
父と母とで二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人 こうして数えてゆくと 十代前で 千二十四人 二十代前では・・・ なんと百万人を越すんです 過去無量の いのちのバトンを受け継いで いまここに 自分の番を生きている それが あなたのいのちです それが わたしのいのちです
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